しょるだーの日記

母の闘病生活と、私と家族の日々。

母の病気

 

 

ここでは、母の病気と今の現状を書いておきます。

 

 

母は、2016年2月2日に正式に「多系統萎縮症」と診断されました。

 

 

診断されたのは2016年でしたが、症状がおこりはじめたのは2年前になります。

私の家庭環境はあまりいいものではなく、父親が暴力的であったり、アルコール中毒であったり、いい印象はありません。少し年の離れた兄がいるのですが、兄も幼い頃から殴られたこともあり(そう毎日でもありませんが)兄も母も私も、父があまり好きではありませんでした。

 

 

そんな中、3年前に両親が離婚をしました。

私はまだ当時大学生だったので、突然苗字が変わり周りに変な気を遣ってもらっていたことを覚えています。

 

 

その不幸を引き金に、母方の祖父がなくなりました。不幸とは続くものなのでしょうか。

 

そんな精神的に疲れることがあったこともあり、ようやく落ち着いたであろう2年前に、発症が始まりました。

 

最初は周りにもバレない程度の右手の震えでした。私がたまたま震えに気がつき、病院にいくようすすめたのです。

 

当時は、パーキンソン病と言われました。

治ることはありませんが、大きな病気でもなく震えを和らげることはできるそうでした。

母が何かの病気だと言われると思っていなかったので、目の前が真っ暗になったのを今でも覚えています。

 

ショックでしたが、命に別状がないとわかり、少し安堵もしました。薬を飲んでいけば、マシにはなると誰もが信じていたからです。

 

 

原因は過度のストレスからくるだろうとのことでした。離婚をし、母は本格的にパートではなく常勤として働いたり、夜勤があったりという体力の疲れもあったのでしょうね。

 

 

震えて仕事ができないもどかしさもあったので、これを機にその職から離れしばらく休むことにしました。

 

 

薬を飲み続けたのですが、パーキンソン病に効くはずの効果が母には全く現れず、再検査をしたときのことでした。

 

仕事中、病院から電話がかかってきて、今日の夕方ご家族に話をしたいとのことでした。

仕事はまだ残っていましたが、突然のことに泣き崩れてしまい、その日は早退をさせて頂き母と祖母と家でその時を待っていました。

 

東京にいた兄も急遽帰省し、家族全員でお話を聞きました。

 

ほぼ、「多系統萎縮症」ですとのことでした。

 

 

 

パーキンソン病と多系統萎縮症は症状が似ているため、判断が難しい病気のそうです。ですが、98%そうだろうとのことでした。

 

 

多系統萎縮症について簡単に御説明しておくと、体の震えが止まらなくなり、生活を1人でするのが困難になっていくこと。

発症から5年後で車椅子、10年で死に至るという、難病指定の病気でした。

 

 

 

この時、発症3年目のことでした。